- 人間万事塞翁が馬
- 出会い
- チャンス
- 人生相談
- 極上の眩いばかりの色彩の世界
- マストの法則
- 輪廻転朝(りんねてんちょう)
- 今日の一日
- エゴ(自己中)
- 狂った猿
- 悟り
- たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える
- ギブ&ギブ
- 無関心
- 嫌いな人
- 幸せとは
- 病院は、私にとって、ディズニーランドです。
- 幸せな結婚
- 人生は、エンターテイメント
- 永遠の生命(私の想い)
- この世は、仮想空間?
- 煩悩を、断ち切るべし。4つの「み」の執着。
- 家のパソコンが急に重くなった。容量オーバーだな。
- もしも、あなたが過去に戻れたら、
- 瞑想と祈りの、場所と時間。
- 現代人は、忙しさの中に、完全に自分を見失っています。(自己消滅)
- 悠久
- 『人生は、近くで見ると、悲劇だが、遠くで見ると、喜劇である』
- 本番
- 車窓
- あなたは、今、生きているといえますか。生きる喜びにあふれていますか?
- 3Cの法則
- 楽しむのではなく、楽しませる。喜ぶのではなく、喜ばせる。
- 『一喜一憂』するなかれ、『一喜一喜(いっきいっき)』だ。
- ビックリしたら負け!この世の中には、ビックリすること(悲嘆にくれるようなこと)は、何ひとつありません。
- この世は、秘密だらけ。あの世には秘密はありません。
人間万事塞翁が馬
告白
「当時、38才。私は、山一証券に勤めていました。仕事も順調、課長昇進も目前でした。
しかし、交通事故に会い、右大腿部骨折、その他5か所を骨折しました。この事故で、リハビリは約1年半つづき、結局、仕事はやめざるをえなくなりました。人生が大きく狂いました。
しかし、リハビリで知り合った、彼女(看護師)と恋に落ち、3年後にめでたく結婚しました。
そして、現在は、新たな職場で、共稼ぎでなんとかやっております。二人の子供にも恵まれました。
久しぶりに、山一証券の時の後輩が訪ねてきました。最近、課長になったそうです。一番出世です。順調を絵にかいたような男です。
彼は言った「あの時は、大変だったね」と。
「まったくひどい目にあったよ、後遺症で、特に今日のように寒い冬には、時々、右足がずきずきと痛むんだよ」と私は右足をさすりながら言った。
すると、妻が台所で、突然割り込んで言った。
「全然、ひどい目じゃないわよ。それが原因で、私たちは巡り合って、子供にも恵まれたんじゃない」と、・・・
確かに、その通りです。
私は、妻に「まったく、その通りです」と、にっこり微笑み返した。
それから、一年後、山一證券は、突然倒産した。
◇◇◇◇◇
禍福は、あざなえる縄のごとし
人間万事塞翁が馬
災い転じて福となる
「今日の不運をなげくなかれ」
出会い
マラソンの小出監督死去(平成31年4月)
高橋尚子談
「私の今があるのは監督のおかげです。五輪で金メダルを取ったことよりも、
世界記録を出したことよりも、小出監督に会えたことが一番大切な価値のあることです」
この世は、出会いがすべてです。すべての人が、見えない糸でつながっております。
すばらしい出会いも、一見、最悪と思える出会いも、すべてが、あなたにとって意味のある出会いであること、価値ある出会いであることを知ることでしょう。
この世に、無駄なものは何ひとつありません。すべてが、あなたのこころの肥やしです。
チャンス
「チャンスは、だれでも平等にある」(やなせたかし)と。
本当にそうかなと思います。
周りにはチャンスのない人がいっぱいいるようにも見えます。
反転 でもそういう人は、ぬくぬくしたお家が大好きです。チャンスは、行動により引き寄せるものです。
人生相談
「オーデションで、なかなか合格しません、やはり私には才能がないのでしょうか。運が悪すぎます」
「ところで、今まで何回オーデションを受けましたか」
「昨年は、3回です」
「ええ、3回ですか・・・。100回受けてから、またここへ来てください」
幸運は、待っていれば来るものではありません。行動して掴(つか)み取るものです。
極上の眩いばかりの色彩の世界
生まれつき目が見えない人に、
ある人が言いました。「本当に、かわいそうですね」
すると、彼は「僕は、自分がかわいそうだと思ったことは一度もありません」と。
「でも、一度、この色のある世界というものを、ぜひ見たいと思っています」
反転、その夢は、必ず叶います。しかも、極上の眩いばかりの総天然色で。
マストの法則
『マストの法則』をご存知ですか。「~しなければならない」という法則です。人生は、しなければならないことばかりです。私は、いつも、マストから解放されたいと思っております。
反転。「自分がやりたいことをやる」ということ。これは実に難しい。
しかし、問題は、「何をするか」です。その中身が重要です。
輪廻転朝(りんねてんちょう)
人生とは、ぐっすり眠ることです。
熟睡がすべてです。上質なねむりがすべてです。
「現代人は、眠れないライオンです」これは、きわめて深刻です。人類の危機です。
「ぐっすり眠れて、痛み(こころとからだ)がない」、これが日々の生活の目標です。
私は、生まれてから一度も睡眠薬を飲んだことはありません。一瞬のうちに眠ることができます。
なぜなら、これを、一日の最大の目標、人生の最大の目標にしてきたからです。
「眠りは、こころが正常に機能するための休養です」「眠りは、こころの羅針盤です、羅針盤が、狂わないようにしなければいけません」眠りが、人生のキーワードです。
人生が100年でも、眠れない人は10年です。
★ ★ ★ ★ ★
人生は、朝で始まり、朝で終わります。
反転 それは、朝から夜までの間違いではないですか。
反転 それだと、一日が24時間になりません。
反転 そうか、でも何か意味があるんですか、この言葉に。
反転 一日は、すがすがしい朝で始まり、すがすがしい朝で終わる。
人生とは、その繰り返しです。輪廻転朝(りんねてんちょう)です。
今日の一日
「眠くなった時が、眠る時」です。自然体で、いつの間にかそうなっております。
「目が覚めた時が、起きる時です」が、私の、今の生活です。
反転、重大な事を言い忘れました。3年前、三度目の脳梗塞になり、職を失いました。
毎日が、日曜日です・・・
エゴ(自己中)
この物質世界では、最低限、生きるための糧を求めて「労働」をしている。が、しかし、経済至上主義社会、競争社会、ノルマ社会では、休むことは許されない。どうも、人類は急激なる高度成長を目指しているようだ。確かに、この100年は、驚くべき進歩だ。すなはち、物質至上主義だ。生産至上主義だ。それ故、人間は、常に時間に追われている。ゆっくり休んでいる余裕はない。「珈琲をゆっくり味わっている暇はない」
「人類よ、そんなに急いでどこへ行く」。
こころの世界、精神文明は、物質文明に、大きく立ち遅れている、「人間のこころ」はかつてないほどに閉塞している。「病める人」がいっぱいいる。つまり、人類は、目指すべき方向が間違っているのではないか。文明の発展、科学の進化、その前に、最も大切なこと。「こころ」の進化をすっかり忘れてしまっている。しあわせを感じるのは、こころです。喜びのセンサーはこころです。
すべての原因は「こころ」にあります。
絶対神話、「科学がしあわせをもたらします」「文明がしあわせをもたらします」とても、そうには思えません。人類の幸せは、この地球の大自然と共にあります。「スローライフ」です。すべての人が、勝手気ままに動くのではなく、お互いが助け合う共存共栄です。大自然が消滅したとき人類は、滅びます。自然破壊は、滅亡への道です。「自分さえよけるばいい」「自分の国さえよければいい」この人間のエゴが、国家のエゴが地球規模の不幸をもたらしていると思います。
自己中は、人類を滅ぼすガンです。
狂った猿
環境汚染で地球を汚し、原爆を造って自爆する。やりたい放題。人間はまさに「狂った猿」です。(アルバート・セント=ジェルジ)
反転、悲しいけれど、反論できません。
悟り
「人生とは、苦です」とお釈迦様が、言ったそうですが、これは、サンスクリット語の誤訳ですね。人生とは喜びです。「生きているだけで丸儲け」これが悟りです。
たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える
「たとえ明日、地球が滅びようとも、私は今日リンゴの木を植える」(マルティン・ルター、開高健)
私の解釈「これは『不動心』のことを言っております。明日どうなろうとも、私は、今日、いつものようにやるべきことをやります」と。
別の人は「この言葉は、どんなことがあっても、希望を捨てない、諦めないということです」
この答えは、十人十色です、不思議な言葉です。
宗教改革時、ドイツの神学者、マルティン・ルター(1483~1546年)の言葉といわれております・。
ギブ&ギブ
ギブ&テイク、いい言葉ですね?
与えれば必ずいいことがあります。いいことをすると、いいことが自分に返ってきます。
反転 違います。「ギブ&ギブ」です。この世は、「与え尽くしの世界」です。一切の見返りを求めずに、与えることが喜びとなる世界です。
無関心
「三無」の大罪。それは、
①無知 ②無関心 ③無行動 です。
しかし、この中で、一見大罪には見えないものがあります。それは、無関心です。
しかし、無関心ほど、恐ろしいものはありません。環境問題、戦争、これは無関心がもたらす大悲劇です。「無関心、私には関係ないと、思う心が死を招く」
東京の品川駅の近くにある「ユニセフの本部」に行ってきました。約2時間のこの地球の現実、子供たちの悲惨な現実を見ました。
世の中には「ひとごと」「たにんごと」は何ひとつありません。すべての人がリンクしています。
この悲惨な子供たちの現実は、すべて、自分自身の問題です。
この責任は私にあります。すべての人は、見えない愛の糸でつながっております。
「無関心」は、そのことを知らないゆえの「無知」です。
時として、無関心は無知より罪深いです。
嫌いな人
世の中には、本当に色々な性格の人がいます。広義では「相性」といいます。
ズバリ「好きな人、嫌いな人」ともいいます。
あなたは、身近に嫌な人、きらいな人がいますか。
・・・・・
「嫌いな人を、好きになるなんて私には無理です」
「あえて、無理して、好きになる必要もないと思います」
私も、そう思います。
大嫌いな上司、わがままで自己中な同僚。価値観の違う友人。
しかし、この世の中は、すべてが、人間関係で成り立っております。
避けて通ることはできません。
お付き合いしたくなくても、どうしても一緒にいなくてはいけないことも、多いです。(職場・お友達関係)
その「こころ」が、仕事を辞めることになり、離婚の原因にもなります。
でも、人生は、好き嫌いで成り立ってはいません。嫌いな人は、あるメッセージをたずさえて、あなたの前に現れております。そのメッセージとは、何ですか?
あなたにとって、「嫌いな人」は、あなたにとって「学びの人」です。
「こころを鍛える大切な人」です。実は、いいとか、悪いとかいう、次元を超えた、運命的な出会いかもしれません。
こころのなかで、「大好き」と、つぶやきましょう。
幸せとは
人間は幸せになるために生まれてきたのです。
反転 違います。
人間は、人(他人)を幸せにするために生まれてきた、と思います。「人のために尽くす」「利他」「奉仕」。
これが、こころの法則、大自然の摂理だと思います。
◇◇◇◇◇
あなたが、悲劇と思っている出来事が、「たましい」を磨く絶好のチャンスなのです。
何もない安全で気楽な人生。幸せで、何不自由なき人生からは、何も学べません。
苦しみ、悲しみ、つらいことは、嫌です!!
「どうか神さま、苦しみや悲しみがやってこないようにしてください、お願いします」と、・・・
反転、苦難は、神さまがくれるありがたいプレゼントです。
『甘受』し、乗り越えるべき課題です。この世は、学校です。『人生道場』『魂の修行場』です。さらには、『人間にとって、この地球は、大宇宙の最高の学び場です』
病院は、私にとって、ディズニーランドです。
私は、今まで、12回入院しました。三回、脳梗塞で倒れました。でも、私は、こう思っております。『病院は、私にとって、ディズニーランドです』
ただし、条件があります。『痛み』です、痛いのは、絶対、嫌です。私の「死生観」を揺るがします。
最高の出会いと、学びが待っています。多くの人と出会い。病気を通じて、多くのことをいっぱい学ばせていただきました。
絶体絶命のピンチこそ、学びのチャンスです。最高のチャンスです。悟りのチャンスです。
幸せな結婚
あるお嬢さんが、告白しました。
娘「お父さん、わたし、遂に『白馬の王子さま』に巡りあったの」
父「そうか、よかったな!」
娘「私、彼に絶対に幸せにしてもらうの!」
父「よかった、よかった」
反転、わが家の長女が、結婚しました。
嫁ぐ前夜、私は、娘に言いました「彼を幸せにしてあげるんだよ」と、「分かりました、彼を幸せにします」と。
愛とは、もらうことではありません。
愛とは、与えることです。
幸せとは、尽くすことです。
人生は、エンターテイメント
あなたは、この人生の主役です。人生とは、壮大なるエンターテイメントです。あなたは、その監督であり、脚本家であり、演出家であり、そして役者です。
そして、その人生という物語の終焉(まさに臨終の時)を、
万感の拍手で送られるようになりたいものです。
反転、死んだらゴミになる訳ではありません!
死は、あなたの人生の終焉ではありません。
『つづき』があります。
喜びに満ちた「続き」があります。
死んだ時に、あの世で、あなたの人生の「生きざまの成果」を、
正々堂々と、発表できるように。
☆ ☆ ☆
生半可な苦労ではダメです、地獄のような苦しみを乗り越えたとき、魂は磨かれます。
「苦」は、神様がくれるありがたいプレゼント。超えられない苦は与えられません。大丈夫です。
永遠の生命(私の想い)
この世の中を見てみると、万物には、「始まりがあるから、終わりがある」「永遠なんて、ありえない、必ず終わりがあるはず」「誕生があるから、死がある」のように見えます。
が、しかし
「始まる前は、何ですか」、と聞かれると答えられない。「あなたが、生まれる前は、何ですか」、と言われると答えられない。
つまり、この世の真実は、本当は違います。
すなわち、この世とは、宇宙とは、森羅万象とは、
実は『無始無終、永遠、無限』です。
これが大宇宙の真理。大原則です。
つまり、この世は「始まりもなければ終わりもない、永遠に続く世界」ということです。
☆ ☆ ☆
この宇宙(=神)は、ビックバンで始まる訳ではありません。また、永遠に広がり続けて、終焉するわけでもありません。大宇宙は、無限なるもの、永遠です。無始無終です。
すべての創造主が、神です。神は、大宇宙そのものです。始まりはありません。永劫です。不滅です。全知全能です。この宇宙のすべてをデザインし、すべてを包括し、すべてを愛でつつんでおります。神は、愛そのものです。
そして、あなた自身も同じです。永久不滅、永遠の生命、永遠の魂なのです。
あなたの誕生とは、本体の「霊」(神の一部)に、魂(意識)が送り込まれました。それが、あなたの誕生です。
そして、そのあなたの原始である『霊』は、無始無終、不滅です。すなわち、神そのものです。あなたは神の愛に包まれた、神の子です。
この世は、仮想空間?
最近、この世の中が、実は「仮想空間」「バーチャルリアリティー」の世界です。という論文がネット上で、大変、話題になっております。(私は、閲覧、読まさせていただきました)
反転、この世界は、「死ねば忘れる夢」ではありません。
ズバリ、「スーパーリアリティー」です。超現実世界です。人生とは、この現実から逃げることなく、果敢にチャレンジすることです。
今日という日は、あなたの全人生の集大成。
日々新た、今日も斬新たれ。
◇◇◇◇◇
宝塚歌劇団の校訓。「清く、正しく、美しく」。好きな言葉です。私は、少しでも近づけるようにと、心がけています。でも、なかなか難しいです。
煩悩を、断ち切るべし。4つの「み」の執着。
ねたみ、ひがみ、うらみ、つらみ。こころの粗大ごみ。『執着』、『未練』を断ち切れば、こころは美しく透明になる。
「人の痛みが分かる」とは、自分自身が身をもって体験することです。
家のパソコンが急に重くなった。容量オーバーだな。
こころが重くなった。容量オーバーだな。
執着だ!煩悩だ!「しがらみ」で重くなったこころには、早急に「こころの断捨離」が必要です。
もしも、あなたが過去に戻れたら、
もし、あなたが、タイムマシンで、いつの時代でも、お好きな時代に戻ろれるとしたら、たとえば、10代、20代、30代、・・・いつがいいですか。
「今です」
今日という日は、あなたの人生の集大成。
今日、あなたは進化しました。
今日のあなたが、あなたの人生の最高傑作です。
瞑想と祈りの、場所と時間。
瞑想と祈りの場所。人生において、瞑想と祈りは一番大切です。教会、モスク、社殿、仏殿、〇〇セミナーハウス?? 果ては、山深い山中に赴き、身も凍る滝に打たれながら・・・
反転
瞑想と祈りの目的は、現世的なお願いをするためではありません。日々の忙中にあって、平穏を取り戻し、神への通路をつくり、霊性を高め、「霊の心」を呼び起こるすためです。
そして、そのための場所は、地球上のどこでも、24時間いつでも、OKです。たとえトイレでも、トイレは最高の魂の浄化の場所です。
問題は、あなたの「こころ構え」次第です。
私は、通勤電車で座っている時、行きつけの喫茶店、公園のベンチ、思いたった時、そこが瞑想と祈りの場所と時間です。目をつむり、こころを平らかにして、雑念を消し去る、どんな「音」も気にしてはいけません。
続けていくと、「音」はまったく気にならなくなります。
「無音無我」になります。
一番大切なのは、たとえ1分でもいいです。毎日、必ずやることです。
お相手は、あなたの守護霊さまです。
守護霊との対話です。一瞬の内に、あなたの「霊場」が出現します。
現代人は、忙しさの中に、完全に自分を見失っています。(自己消滅)
冷静に、平静に。「深~く、深呼吸しましょう」。忙しいからこそ!!
毎日、絶えまなく、一日として休むことなくしている呼吸。
この呼吸こそが、すべてです。元気の源です。
私は毎日、大自然のプラーナ(気・生命エネルギー)を意識的に『深呼吸』しております。「笑いヨガ」で何度も「深呼吸」しております。
悠久
鳥取砂丘に立った。眼前には、広大な砂丘が広がっていた。手に、砂をたくさん取ってみた。一瞬遊びごころで、手の中にある、その砂を数えてみようかと思ったが、やめた。この砂丘には、いったい、どれだけの砂(星)があるのだろうか・・・
天を見た、煌めく星があった。この宇宙には、どのくらいの星があるのだろうか。
それは、無限である。気が遠くなった。悠久の世界。大宇宙。
約2000億の星がいる銀河が、宇宙には、2兆以上ある。ということは、単純に、2000億×2兆=難解だな・・・ええと、「億」の上が、「兆」、兆の上が、「京」、そして更にその上が、「ガイ」「予(じょ)」「穣」「溝」「潤」・・・・・あああああ
『人生は、近くで見ると、悲劇だが、遠くで見ると、喜劇である』
小さいことに、くよくよするな。
悲しみも、苦しみも、1年経てばすべて過去。
本番
人生は、死ねば忘れる夢なんだ。
反転、いいえ違います。死んでからが、本番です。
生前のあなたのすべての思念と行動は、「アカシックレコード」(あなたの全人生の記憶のレコード、永久保存版)に完璧に記憶されております。
もう、申し開きはできません。さあ、あなたは、どうしますか。
居直りますか、謝罪しますか。それとも・・・
あの世には、サタンもいません。エンマ大王もいません。あなたを罰するために待ち構えてるいる、恐怖の大王はいません!大丈夫です。まったく心配いりません。
悪いことをすると、死んだら、「自分のすべての過去をスクリーンで、見せられて、涙を流すことになりますよ」と、
「本」に書いてありました。そういう映画も見ました。これは本当ですか。
ウソです。ありえません。あの世ではそんなことを強要されません。
もし、それが私だったら、振り切って、即、その恐ろしい映画館から退場します。
反転、でも、もっと、もっと、恐い人、恐い番人がいます。
それは、もうひとりのあなた自身です。(真我)
あなた自身が、あなたを判定する。死後、あなたはすべての記憶がよみがえり、あなたの「心の羅針盤」、「良心というセンサー」が、あなた自身に問いかけてきます。それこそがあなたの前世の思念・行為を移し出す「こころのスクリーン」です。 そして、
それを観(み)て、あなたが何を想うかです。
それは、あなたのカルマです。
蒔いた種は、刈り取らなければなりません。
現世で、やり残した課題は、もう一度チャレンジすることができます。
理不尽のまま、終ることはありません。
「神の公正」は完璧です。
「輪廻転生」です。
再生。生まれ変わりです。
それが、神が創ったシステムです。
神の法則です。
守護霊が、私に言った、
「もう一度、やり直してみませんか。再生。生まれ変わって、今度こそカルマを解消してください、お願いします。私がいつも見守っております。困った時はいつでも応援しますよ」
私、「分かりました。でも、もう少し時間をください。検討させてください。再チャレンジの人生で、やるべきこと、なすべきことの人生設計を、もう一度練り直してみます。私は、今度こそ、今度こそ、たましいの卒業証書をもらいたいのです!」
車窓
車窓は、好奇心の原点です。
私の原点です。
車窓からは、大自然が見えます。人類の生きざまが見えます。人類の功績(すべての建造物等)が見えます。そして、大宇宙も見えます。
私は、今でも、電車に乗ったら、窓際を目指します。
そこには、私の好奇心を満たす、驚きの感動が待っているからです。
まるで、子供のように。
好奇心は、感動の原点です。
好奇心は、「知」の原点です。
あなたは、今、生きているといえますか。生きる喜びにあふれていますか?
3Cの法則
世の中には、「生きているんだが、死んでいるんだか、分からない人がいっぱいいます」
あなたは、今、自信をもって、「生きているんだ」と断言できますか。あなたは、今「生きる喜びに満ちあふれていますか」と。
その生きるための原点、指針が「3Cの法則」です。生きるための大原則です。
すなわち、好奇心・創造力・挑戦(行為)です。英語で、キュリオシティ・クリエイテイブ・チャレンジです。すべて、「C」で始まります。これが、すべてゼロの人を「死んでる人」といいます。
人間は、年をとればとる程、残念ながら、この3Cが少しづつ減少していきます。しかし、高齢にもかかわらず、驚くほど3Cがたくさんある人もいます。そういう人は、ハツラツとしています。常にポジティブで、夢に向かって挑戦し続けております。
そして、ここで、驚くべきお話を申し上げます。
あの世(霊の世界)こそが、まさに、3Cの法則そのものです。
肉体のない世界では、あなたの「思念(想念)」がすべてです。霊力は、あなたの「創造力」(無から有を作り出す想念)がものをいいます。「生きていますか」の原始が、ここにあります。3Cこそが、本当の意味での「生きていますか」の回答です。
★★★★★
楽しむのではなく、楽しませる。喜ぶのではなく、喜ばせる。
『一喜一憂』するなかれ、『一喜一喜(いっきいっき)』だ。
ビックリしたら負け!この世の中には、ビックリすること(悲嘆にくれるようなこと)は、何ひとつありません。
この世は、秘密だらけ。あの世には秘密はありません。
仏教では、すばらしい「生き方」を教えてくれます。しかし、「死に方」は教えてくれません。(無記)
一見、無駄に見える、回り道に見える「時間」は、あなたにとっては、必要な「時間」です。(悟りの時間)
あなたの言う「雑草」とはなんですか、実は、それが「薬草」だったことが分かる時が来ます。
あなたの記憶は、脳に貯蔵(記憶)されるわけではありません、目に見えない「魂」に刻まれます。この「記憶の倉庫(アカシックレコード)」は、完璧です。
神が、最も嫌がること、神さえも、「許してくれ」と叫ぶこと。それは肉体的「痛み」です。
そのために人間の痛みには「痛みの臨界点」を設けております。
痛みの臨界点を超えると、脳は作動しません。(注*もちろん、神は、物質界に降臨したことはありませんが)
「自分のため」ではありません、いわんや「国家のため」ではありません。すべてが「人のため」です。つまり「世のため」です。
つづく 「ウレラのつぶやき」
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