2019年6月2日、NHKスペシャルで放映された「彼女は安楽死を選んだ」は、多くの人に強い衝撃を与えました。難病である「多系統萎縮症」にかかり、「死にたくても死ねない私にとって、安楽死は最後の希望の光なんです」と語り、日本人で初めて「スイス」で、二人の姉に見守られながら、致死薬が血管の中に流れ込み、安楽死を遂げました。これを見た多くの人たちから、驚きのメッセージが届きました。しかも、70%以上の方々が、この行為に賛同し、日本もスイスのように安楽死の法整備をして、「死ぬ権利」を認めてもらいたいというご意見もありました。この問題は、まさに「生と死」の問題です。死によってすべての苦痛から解放され、楽になれる。もちろん「死後の世界」などあるはずはない。という「死生観」からきていると思います。医師も、まわりの人たちも同様に考えています。
本当にそうなのでしょうか・・・
あなたは、何のためにこの世に生まれてきたのですか?
『人は死にません、あなたは、死後、肉体を脱ぎ捨てて、本体の魂となって完璧に蘇ります、あなたの全人生のすべてのたましいの記憶(アカシックレコード)を携えて、そっくりそのままのあなた自身が、蘇るのです。
ハンデのある「魂」はこの世にはありません。
「死ねば楽になる」わけではありません。生命は永遠に続くのです。魂は不滅です。ただ、そのことをまったく知らないだけです。
難病の人も、肉体的なハンデのある人も、死後、すべてが完璧になって蘇ります。
恐怖も、心配も、何もありません。一番恐ろしいことは、この一番大切な「生と死」の「真実」をまったく知らないということです。
死は、この世に存在しません。多くの人が「死」という「ペテン師」にだまされています。
みんなみんな騙されています。
魂が覚醒しない限り人間は残念ながら、いつまでも「死」と言う恐怖の中に閉じ込めれれています。
魂は不滅です。人は永遠の生命なのです。
そしてあなたは、神の霊性の一部を持った、まさに神そのものと言ってもいいでしょう。
落胆すべきことは、何一つありません。あなたに与えられた「苦難」は、「甘受」すべき、神が与えてくれたありがたい試練なのです。乗り超えるべき試練です。
「克服できない苦難」は与えられません。
絶望してはいけません.
みずから死を望んではいけません.
神の公正は絶対です。
いつかは、必ず帳尻が合うようになっています。あなたが、不幸だと思っていたことが、それが決して不幸ではなかったことを、いつか知る時が来ます。
不幸は決して不幸ではないのです。
果物が熟さないうちにもぎ取ってはいけません。
すべての生命は神のものです。身体が衰えて霊がその身体から解放される時が到来すれば、自然の摂理によって死を迎えます。人間は、死すべき時が来れば必ず死にます。
みずから命を絶ってはいません。
あなたは、現世でやるべきことがあって生まれてきました。前世で選んだ「ハンデ」という「人生の大きな試練」、「人生のカルマ(因果)」を清算するために、生まれてきました。
この地球という惑星で、「人生という学校」で、「答」を出すために生まれてきたのです。
「死」は人間的「法律」で定めるべきものではありません。生も死も神の摂理の中にあります。
医師の多くは、人間が、肉体と精神と「魂」から出来ていることを知りません。
唯物的史観から物事を見ています。魂の理解については、まったく無知と言っていいでしょう。そのような人たちに「生死にかかわる決定権」をどうして与えることが出来ましょう』
安楽死は、決して「尊厳死」ではありません。
「死んだらお終い」という霊的無知からきています。死は「無」ではなく、「死後の世界」が真実の世界であり、コインの表です。魂のふるさとです。
死は、新しい旅出です。
死後世界は、おどろおどろしい恐怖の世界ではなく、「光り輝くすばらしい世界」なのです。
「理不尽」という言葉はあの世では存在しません。「魂は不滅」なのです。
このことが分からない以上、いつまでも無明の闇にさ迷うことになります。あなたは、そのことに「いつ」気が付くか。
あなたとは、何か。
何のために生まれてきたのか。
この見えない世界の真実を。
自分自身が、何者かを知った時、それこそが「魂の覚醒」なのです。
あなたは、不滅です。
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