(2023.01.24記)
【あなたとは何か?】
第一章 仏教が説く「あなたとは、何か」
【あなたは、なぜ、誰から生まれてきたのでしょうか。もう一度、考えて見ましょう。そう、両親からですよね。両親が、いなければ、あなたはこの世には生まれません。親と折り合いが悪くても、疎遠であろうと、親ガチャ(親は自分で選べないということ)であろうと、毒親と感じても、孤児であろうと。あなたは、必ず、二人の親、すなわち両親から生まれてきました。その二人の親には、また、必ず二人の親がいます。さかのぼれば、あなたの遥かなるご先祖様は、一度として、途切れることなく、人類の歴史は、100万年以上も前から、20万年前の新人類の誕生を経緯して、1万組以上の両親の、綿々とした、一度たりとも途切れることない、まさに「奇跡の連鎖」の上に、その頂点として「あなた」が生まれました。
この地球、40億年前の原子生命の誕生から、人間として、人類として、何万年という進化プロセスを経て、「種の保存」という営みの中で、ご先祖様、一人一人がまさに「命がけ」の人生を体験して、生き抜いてきて、その生命連鎖の「バトンリレー」の最終段階として、今、あなたがここに生まれて来たのです。
神仏への感謝。ご先祖様への感謝。両親への感謝。そして、何よりも、他の誰でもない、このかけがえのないあなたという命。あなたの唯一無二の個別意識としての「こころ」。
「本当にありがとう」と絶叫した時、みずからの命が、いかに大切であるかを、思わざるを得ません。多くのご先祖様、多くの方々にささえられて今日まで来られたことに、感謝せずにはいられません。
それはまさに、神仏によって自分が「今、生かされて、生きる」証(あかし)なのです。かけがえのない命。尊い命なのです。それを、ハタと知った時、あなたは大空に向かって、夜空に向かって、大宇宙に向かって、わが身の大奇跡を知り、喜びの声を、大歓喜の声をあげることでしょう】
このお話は、仏教の教えで、特に「お盆」の頃。あなたという「命の大切さ」、そして、「先祖供養の大切さ」を教える、「仏法の教え」です。
- 生命の尊さ。あなたは、奇跡の人。
- 先祖供養の必要性。
いまから17年前。私が54歳の時に、私が、檀家である曹洞宗の季刊誌「明珠」の中に掲載された一節を、加筆した「私の創作文章」です。
基本的には、その根元の理念はいっしょです。
この当時の私の感想は、目からウロコ「本当にすばらしい!」感動して、今も大切に保管してあります。
この頃の私(54歳)は、檀家である曹洞宗の「総持寺」にて、「得度(とくど)」(出家)をしようかと、真剣に、思いあぐねていました。
(黄輝光一公式サイトのプロフィール欄をご覧ください)
【我、ついに、出会う。「シルバー・バーチの霊訓」と】
が、しかし、
この後、約1年後(2008年)、ある本に出合いました。
(今から、14年前)
私の人生は一変しました。
「私の人生は、この一冊の本に出会うために私は生まれたんだ」。と思うほどに、その本の内容に驚愕、震撼させられました。これまでの私の約40年間とは、ざっくり10歳ごろから、この本に出合う54歳までですが、
私の宇宙への強い関心。神はいますか?自分とは何か?死とは何か・宗教・仏教・精神世界・ニューエイジ等への「強い思い」は、
決して、無駄ではなかった・・・
神が、私を「真実の扉」へ導いてくれた。
求め、求め、求め続けてきたものに、ついにめぐり合った!
魂の大歓喜が、訪れました。
その本の名は「シルバー・バーチの霊訓」全12巻です。
「シルバー・バーチ」とは何者か、死人です。
3000年前に、死んだ人です。その死人が「愛のメッセンジャーとして」「人類救済計画のメッセンジャーとして」、イギリスの地へ、1920年から、その後56年間にわたって、交霊会に現れて語り続けた膨大なる集大成の書が12巻の「霊訓」です。
むさぼるように、真剣に読みました。6か月をかけて、すべて読み終えた時、あまりの衝撃に天を仰ぎ見ました。凄すぎる!!
これを読んだ私は、驚嘆しました。全く、地上的、物質的の観点からは、360度違った、「霊的真理」に基づいて書かれており、それは、今までのすべての常識をくつがえす、驚くべき内容でした。
具体的に言うと、
【死後世界は実在し、魂は不滅です。あの世に行った700億以上の「死人」たちが、真実を全く知らない無知なる人類に、あの世は実在しますよ。そして、あの世こそが本体です。あなたの、本当のふるさとですよ、と・・・
あの世では、永遠の生命を得て、現世よりはるかに、生きいきとして、生きていますと。
あの世は恐ろしい世界ではありません。霊界は、光り輝くすばらしい世界なのです。かつては、人類は、地球が丸いことさえ知なかったように、我々が、驚くほど「霊的無知」であることを、一つ一つ丁寧に、やさしく語り掛けております。
霊界人が、現世とあの世を行ったり来たりしながら、生まれ変わり、輪廻転生を繰り返しながら、両方の世界を体験し、学んできた「真実」を、最高レベルに到達した高級霊団が、総力を結集して、私たちに、霊界通信してきたのが「シルバー・バーチの霊訓全12巻」です。それは、56年の長きにわたっており、その情報量は膨大です。
そこには、「あなたとは何か」「宇宙とは何か」「本当の人生の目的」「すべては、霊」「唯一の創造主は神であり、その〔神の摂理〕は完璧であること」「霊宇宙の真実」「霊的真理」、彼らが知りえた、全知識を私たちに伝えようと、語り掛け、それを集大成したのが、シルバー・バーチの霊訓12巻です】
シルバー・バーチは、まさに「愛のメッセンジャー」です。
そして、更に、その遠大なる計画の総帥、高級霊たちの陣頭指揮をとっている人物は、いったい誰なのか。
霊訓12巻をどんどん読み進めていくと、ついにその正体が分かりました。
その名は、ナザレのイエス。すなわち、イエスだというのです。
その瞬間、驚きの余り、私はひっくりかえりました。そんな馬鹿な!
えええ、どういうこと??
なんと、なんと、「シルバー・バーチの霊訓」は、イエスからのメッセージだった。実は、イエスの最大の嘆きは、霊的真実が、現在に至るまで、間違って伝えられていたということです。
その真実とは「霊の実在」です。本当の「人生の目的」です。「あなたとは、何か」です。
シルバー・バーチ(イエスからの使命を、担った高級霊の伝達者)は、1920年から、イギリスの「交霊会」にて、人間のあらゆる疑問、難題に、即座に明解に答えてくれる。「人間と死人(霊界人)との質疑応答集」です。
その内容は、人類の叡智を遥かに超えて、国会図書館全書物を凌駕する。まさに『人類の真のバイブル』
そして、冒頭で、紹介した14年前の仏教の教えの根本原則を説く、『曹洞宗』の季刊誌【明珠】には、「自分が生まれてきた理由」、その親から子への奇跡の連鎖の最終段階として、今の私がいる。両親への心から感謝、先祖供養の大切さを学び、素直に、すばらしいと感動いたしました。
が、しかし、
シルバー・バーチの本には、そうは、書いていなかった。
何度、読み返しても、そうは書いていなかった。
そのようなことは、微塵も書かれていなかった。
【シルバー・バーチの霊訓より】 (要点を、個別に列記)
- 探し求めた神は、自分自身だった。〔内在神〕
- 自分を生んだのは神。よって自分は神の子。
- 両親は、この期間限定(100年ぐらいの間)の物質界である現世での親。
本当の親は神です。
- 「子どもは、親を選んで生まれて来る」というのは、本当ですか。
⇒本当です。
- では、もし、選んだ両親が、何らかの理由で、子供を産めなくなったら、この世に、生まれないということになりませんか。
⇒そういう場合は、別の親から生まれます。・・・「えええ・・・」
- 人は死なない。「永遠の生命」と言いますが、現実には、いつまで生きますか?⇒ズバリ、100億年以上、無限大です。・・・「えええ・・・」
- でも、つらい苦しい人生、生きることが容易でない人、「永遠の命」を望まない人もいると思います。自殺です。そういう人は、人生を終わらすことはできますか。⇒絶対にできません。
- それって、その人たちにとっては、地獄ではないですか?
⇒その通りです。ある意味では地獄です。だが、そういう人達は、真実を全く知りません。「霊的無知」です。『死ねば、楽になれると思っております』
私たちは、人生でいろいろな教訓を学ぶために生まれてきたのです。自殺は、それを反故にする裏切り行為です。あってはならないことです。
⇒そもそも、あの世は、恐ろしい所ではありません。言葉では言い現せないような、すばらしい天国(霊界・高級霊の世界)なのです。
- 自殺者は、地獄に落ちるのですか。
⇒そうとは限りません。自殺に至る原因です。なぜ、自殺したかです。動機です。ケースバイ・ケースです。簡単に述べることはできません。
- キリスト教では、天国と地獄があり、神を冒涜するもの、悪行の限りを尽くすものは、「永遠の地獄」に落ちるとされています。そういう地獄は、ありますか?
⇒ありません。
アダムとイブの話は、本当ですか?⇒人間が考えた作り話です。「えええ・・・」
- サタンは、いますか。⇒いません。
- 永遠の生命と言いますが、いつか、進化を遂げると、神と合体するのではないのでしょうか?⇒合体しません。あなたの個性は、ますます磨かれ強くなっていきます。より個性的になっていきます。(ただし、霊界の類魂は、親和性にもとづく、集合意識です)
- 私の娘は、1か月前、突然交通事故でなくなりました。もう立ち直れません。悲しいです。⇒娘さんは、今、あなたの横に立っておりますよ。
- 仏教では、この世の中は、苦であり。理不尽であると説きます。それを知ることを悟りといいます。諸行無常ともいいます。私も、この世の中は、あまりに理不尽と思います。どう思われますか。
⇒理不尽というのは、あなたが、この一瞬ともいうべき短い人生から、見える世界です。「永遠」から見た世界は、その傾きかけた理不尽の天秤棒は、いつしか平行になります。生命は永遠なのです。
- いたいけな3歳の子がなくなっても、悲しくないというのですか?理不尽ではないというのですか。
⇒私は、何度も、何度も言っております。死は、絶望ではありません。故郷へ帰る喜びです。その3歳の子も、あの世で、元気にとび回っております。
- あの世にも、太陽はありますか。
⇒ありません。しかし、あの世に行ったとき、あなたの眼には、霊太陽がみえます。それは、神のはからい。神の配慮です。そこに見える太陽は、物理的な現世の太陽ではありません。
- 月はありますか。⇒ありません。あの世では、地球の自転・公転による夜と昼はありません。つねに明るい世界です。
- この世界のエネルギーは、物理的エネルギーです。太陽エネルギーです。万有引力。相対性理論。あの世の根元的、「エネルギー」はいったい何ですか?
⇒霊力です。霊の力です。これがこの大宇宙(=霊宇宙)の根源たるエネルギーです。実は、この現世も、霊の世界なのです。死んだら、霊の世界の行くわけではありません。
- あの世の人は、足がない幽霊ですか。それとも、火の玉のようなものですか?⇒幽界では、現在の姿が、そのまま引き継がれます。ただし、それだと、あの世は老人だらけと思われますが、現実にはみな若返ります。あなたが望む姿として、生まれ変わります。 「えええ・・・」
- 現世で、目が見えない人。不治の病で亡くなった人。両足のない人。彼らは、あの世では、どうなっているのでしょうか。そのままですか?
⇒すべてが、蘇ります。目の見えない人は、目が見えるように、難病も治ります。なかった両足も、あの世では5体満足です。実は、あの世は、物質の世界ではなく、「思念が現実」となる世界です。足らざる者は、すべて満たされます。
これが、あなたのいう、地獄ですか。霊界は、創造を絶するすばらしい世界なのです。
㉑ あの世は、死人だらけ、つまり当方もない数の死人で、満ち溢れている人口過密で、アップアップなのではないでしょうか。私にはまったく理解できないのですが。
⇒現在のあの世の人口は、この世の人口78億の約10倍です。800億ぐらいです。
そもそも、あの世は、時間と空間の「垣根がない世界」です。人口が、無限大でもそもそも、それ自体が問題にならない世界です。
㉒ あの世では、銀行はありますか。携帯はありますか。パソコンはありますか?
⇒全て、ありません。必要がないのです。こちらは「思念の世界」です。思念が、実在の世界です。衣食住を必要としない世界です。お金が必要のない世界です。携帯はいりません。あなたが「〇〇さん」といえば、○○さんの声が聞こえます。「何か御用ですか?」と。テレパシーです。霊界通信です。
㉓ この世界では、人それぞれ価値観は違いますが、大統領・大社長・大金持ちのように、地位や名誉や財産は、大きいほど尊敬され、あこがれの人であり、人生の勝利者ともいわれます。あの世の価値観は、何ですか。
⇒地位も名誉の財産も何の価値もありません。そんなものは、あの世に持って行かれません。大切なのは、あなたが何をしたかです。(あなたの心です。あなたの霊性です、あなたの霊格です)
具体的には何ですか?
「人の為に尽くす」ただそれだけです。
「宗教とは、人の為に尽くす」、です。
☆ ☆ ☆
第2章 霊的真理から見た「あなたとは何か」
「あなたとは何か」に関して、第1章、仏教が説く「あなたとは何か」は、根本的に、違った認識の上に、語られています。
すなわち、仏教の教えは「物質的観点」から人間観です。確かに、この地球上では、あなたは両親から生まれてきたことに相違ありません。
しかし、真実は、あなたの正体は、「霊」(たましい)であるということです。
そして、「霊とは何か」が、分からないと、「あなたとは何か」も、分かりません。まず、あなたは両親から生まれたといいますが、霊の観点からは、神(大霊)から生まれて来ました。
さらに申せば、奇跡の連鎖で、あなたが生まれて来たのではなくて、「必然の結果」として生まれてきました。
この問題を解き明かすには、「霊的真理」を理解しないと、先にすすめません。
この世界が、唯一絶対の世界であり、死は終焉であり、死後の世界はない。死んだら原子(土・ゴミ)になる。という唯物史観の上に立って、「あなた」をとらえると、全く違った「あなた」となります。
霊的観点から見たあなたとは、
- 肉体
- 精神
- 霊 の【三位一体】です。
ですから、肉体がなくなっても、魂〔霊+精神〕は、残るということです。
脳が消滅しても、あなたは不変です。あなたという個別意識(こころ・精神)は、脳の中にあるのではありません。脳は、単なる物質です。
脳は、単なる「入れ物」なのです。
すなわち「魂は不滅です」ということであります。死んだ後も、本体である「魂」は生き続けます。ここでいうあなたの魂とは、あなた自身です。あなたの個性です。死後、あなたは、現世で体験したすべての記憶情報を完璧に携えて、あの世で蘇るのです(アカシックレコード)。ふるさとへの帰還です。喜ぶべき帰還です。
が、しかし、
【科学至上主義、「脳」万能主義の方々には、霊的真理は、まったく信じられないお話です】
「死んで、意識の根源である『脳』が消滅したのに、その意識が死後も、存続するなんて、私の科学的な考えでは、とうてい容認することはできません!!」
本当に、多くの人が、この様に考えていると思います。
そういう、多くの方々に対して、シルバー・バーチは、ある意味。辛辣な言葉を投げかけます。
「悲しんで、やってください」と。
「そういう人たちも、いつかは分かるときがやってきます」と。
シルバーバーチの言葉は、常に、愛に満ち溢れております。人間(個人)をさげすむ言葉は一切言いません。
にも、関わらず、何度もそういうのです。
「霊的真理は、魂の準備のできた人にもたらされる」と。
つまり、理解できないのは、唯物史観のうえで、この物欲の世界に、どっぷりつかっていて、とうてい理解できないお話ということなります。
科学至上主義の現代では、すべての人が、納得できる科学的実験、実証。そして霊魂があるなら、霊現象が真実というなら、いかなる状況でも「再現」でき、証明できなければなりません(再現性)。更に2つ目は、原因と結果の関係が、きちんとあるということです。因果関係です。また、客観性、論理性、普遍性も重要なる観点です。
が、そもそも、「神」も「霊」も「あの世」も、異次元のお話で、物質的な「科学」を超越したお話なのです。たとえ最新の量子力学でも、「神」の立証は不可能だと思われます。
「霊」は、科学ではないからです。(現時点での私見)
霊を科学的にとらえようとするのが「霊科学」です。果たして、霊を、物質的世界の科学で、量子力学で解明できるのでしょうか?「霊科学」は、そこへの人類の大いなるチャレンジです。
さて、遡って、あなたとは、「意識(こころ)」であるといえますが、この意識の根元は、科学的には、「脳」にあると考えられております。つまり、脳がないと、意識はなくなるということです。もうひとつ、心臓がないと、脳に血液がいかないので、間違いなく脳死の状態となります。よって、現代の「死」の判定は、心肺停止と脳死という、二重の縛りとなっております。
が、実際の死の場面では、死の判定は、医師のみに与えられており、
その基準は、3つです。①呼吸の停止 ②心臓の停止 ③瞳孔拡大です。
が、しかし、この話は、「物的世界すなわち現世でのお話」です。
すなわち、「脳」が、破壊され、停止し、消滅しようが、「肉体」が、火葬場で焼かれようが、あなたはもともと不滅なのです。不死なのです。今現在、すでに不滅なのです。あなたは、霊だということです。
はっきり言えば、1億度で焼かれようが、マイナス273度の絶対0度でも魂は、死にません。いかなる物理的手段をもってしてもあなたの死はない。
さらに、死んで、霊界人なっても、「神」がどんな手段を講じようと、あなたは死なないということです。
それは、あなた自身が、神(神の子)そのものだからです。神は、神を殺すことはできません。あなたの本体は、不滅の霊なです。
まさに、これは、驚異の大発見です。
でも、霊界では、このお話はすべて、あたりまえのことです。
ですから、あの世では「死」の判定基準そのものが、ありません。
あるべき死が、存在しないからです。
「あなたは、死というペテン師に騙されていますよ」ということになります。
この表題の、最大のテーマであります。
【全人類が、死というペテン師に騙され続けてきたのが「人類の歴史」です】
かつては、地球が丸いこと知らなったように、すべての人が、いつ「気付くか」です。
それどころではありません、知らないということは、人類の歩むべき道が、大きく間違った方向に向かうということです。
あなたは、霊の人です。死んでから霊になるのではありません。もともと「霊」なのです。
死んでから霊界に行くのではなく、この物質世界こそが、霊力が満ち溢れた、「霊の世界」なのです。
私たちがまったく感知できないだけです。周波数がちがう、波動がちがう、次元が違う。「物質世界」でありながら、実はこの世界の本体は「霊世界」なのです。
この地球という物質世界は、なんと唯一無二ではなく、
死後の世界が、本体であり、あなたの本体は霊であり、霊は不滅です。
☆ ☆ ☆
あなたは、この世界へ、肉体という「重い鎧」をつけて、生まれてきました。
いったい何のためにですか。修行の為です。
この世界は、学びの場、学校です。
苦難は、その為にあります。
ただ単に、「人生を楽しむ為」に生まれてきたわけではありません。人生を「謳歌」するためだけに生まれてきたわけではありません。
人生は、短くはかなく、理不尽にみえますが、この地球は、試練の場です。学びの場です。学校ですと、何度も何度も言っております。
地上人生は、霊界(ふるさと・本体)への、準備の場所です。
「そのためには、現世を卒業することが必要です。苦難も、病気も、地獄のような苦しみも、学ぶため、気付きのためのありがたい試練です。真実を知るためのありがたい試練です。ですから、人生に試練はつきもの、試練なくしては、現世は成り立ちません。その学びの目標が、未達なら、再入学(再生)です。輪廻転生です。霊的真理を知るため、霊的成長するための、「再生システム」なのです。
この宇宙そのものが、神の子が霊的成長するための、「再生システム」なのです。
それは、あなたを神にするためです。
その根源はなんと「神の愛」なのです。
「カルマの法則(原因と結果の法則)」は、単なる「罪と罰の法則」ではなく、「神の愛の法則」です。
この世は「諸行無常」ではありません。「諸行不変」です。
人は、絶対に死にません。すべては、愛によってつながっています。人間の生命は永遠にして不変なのです。
「生老病死」ではありません。「霊魂不滅」です。
あなたは、不滅です。
【諸行無常とは、「この世に存在するすべてのもの、永遠に変わらないものは何一つないということ」「万物は流転する」という教えです。仏教の根本的な考え方である「三法印」の一つです。(①諸行無常 ②諸法無我 ③涅槃静寂)
「永久不滅である者は皆無であり、人間もまた生まれては死して、跡形もなく消滅する。はかなく、むなしい、それが人間であり、諸行無常なのだと」
そのことを、真に知ることが、悟りであると。
しかし、シルバーバーチは、はかない人生。逃れられない絶対的「死」に対して「死後存続」を説き、「魂(=意識・心・精神)は、不滅である」と説き、
これを「霊的真理」といい、「死んだらお終い」と断言する人たちを「霊的無知」と表現しております。
えええ・・・
ウソです!お釈迦様は、正しいです!!
ウソです!シルバーバーチは、おかしいです!!
ウソです!それを、信じるあなたは、おかしい!!!
どっちが、真実なのか。人生につづきはあるのでしょうか・・・
お釈迦様は、いったい私たちに何を説かれたのでしょうか。それは、明白です。諸行無常の「短い人生」における人間のよりよき「生き方」です。人間としての正しい生き方です。その最大のテーマは「どうやったら幸せな人生を送ることができるか」です。
最終目標は、人生の煩悩からの解放。解脱(げだつ)、涅槃(ねはん)、ニルバーナの境地です。
シルバーバーチは、仏教にも言及しており、人生の目的、人間の目標は、ニルバーナではありません。と、言っております。
人生の目的は、神への永遠の進化向上、「霊的成長」にあると。(魂の進化向上・霊性の進化向上)
ニルバーナ(涅槃)は、悟りの境地でも、人間の最終目標でも何でもありませんと。
シルバーバーチは、全哲学、全宗教、全宇宙、あなたとは何か、人生の目的を克明に語っております。
☆ ☆ ☆
反論【 脳万能主義 】
「脳万能主義」とは、すべての原因は、脳にあるので、脳がなくなれば、「あなた」はなくなる。ということです。
脳が消滅すれば「意識(こころ)」も当然消滅する。肉体は、原子(ゴミ)に戻って、すべてが終わる。人生も終わる。あの世などありえない。すっきり、さわやか、後腐れなし、と言ことになります。
すべてジ・エンドということです。
ではいったい、「霊的無知」とは、どういうことなのでしょうか?
- 自分が、誰なのかを知らない。
- 宇宙の真実を知らない。
- 霊界の存在を知らない。
- 魂の普遍性を知らない。
- 本当の「人生の目的」を知らない。
- 「霊的真理」を知らない。
ない、ない、ない、の世界です。
羅針盤のない船と一緒で、さまよえるばかりです。
☆ ☆ ☆
【最終章 シルバー・バーチの言葉】
死は霊界への新たなる誕生
―悲劇ではなく祝福すべき出来事
「地上世界の美しさも、霊の世界の美しさと比べるならば、色あせて見えます。霊の世界には、地上の誰ひとり見たことのない花があり、色彩があります。地上にはない風景や森があり、小鳥もいれば植物もあります。小川もあれば山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならない程美しいのです。皆さんも、その美しさを味わう日がきます」
「私たちが地上の人々にもたらすことができる『最高の霊的知識』は、人生が『死』をもって終了するのではないこと、従って苦しい人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことが出来るということ、言い換えれば、くやし涙をぬぐうチャンスが必ず与えられるということです。人生は死後もなお続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で、人間は内在している能力、地上で発揮し得なかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し他人への迷惑も考えずに横柄に生きた人間には、その悪業のつぐないをするチャンスが与えられます」
「死ぬということは、決して悲劇ではありません。むしろ地上で生きている方が悲劇です。天上的、色彩を眺め、天上の音楽を聴けるようになることが、悲劇でしょうか。霊の世界の本当の美しさを満喫できるようになることを、あなたは悲劇と呼ぶのでしょうか。
赤ちゃんが地上に誕生した時、私たちの世界では泣いているものがいるのです。反対に、死んでこちらの世界に戻って来るのを、大喜びして出迎えているものがいるのです。死は罰ではなく、報酬です。大自然の生命活動の一環とみるべきです。死は、永遠の別れではありません。死は、魂が自由を獲得するための素晴らしい出来事なのです。言葉では言い表せない生命の喜びを味わい始め、あなたはうれし涙を流します。新しい自由、新しい喜び、そして地上では発揮できずに終わった、内部の霊性を発揮するチャンスに満ちた世界での生活が始まったことを知って、よろこんでいます」
鳥かごから放たれた鳥のように
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