(2023.01.23記)
【第一章】 死とは何か
(10歳からの、私の疑問、私の原点です)
【究極の人生相談です】
「私の悩みに、是非、回答をいただきたいです。よろしくお願い致します。」
この問題に、答えられますか?
全ての人を納得させる「回答」(正解)は、ありますか?
という問いかけです。
① 愛する、本当にかわいい私の5歳の娘が、難病で天に召されました。娘に会えますか。
娘に会うことができますか?
② 私は、41歳の母です。早朝、18歳息子と些細なことで、大げんかしました。
出がけに、言って はい受けない言葉を息子に言ってしまいました。息子はバイクを運転して家を出
て、10分後に、事故で、亡くなりました。悔やんでも悔やみきれません。すべて、私の言葉が原
因だと思っています。息子に本当に申し訳ない。息子に会って、こころから詫びたい。
③ 私は、結婚式の前日、フィアンセに先立たれました。式前日の深夜、歩行中のひき逃げ事故で、
即死でした。連絡がつかないまま、彼は会場には現れませんでした。なぜ、なぜ、なぜ、彼は死な
なければならなったのでしょうか?悲しいです。ほんとに悲しいです。
④ 中学生14歳の娘が、自殺しました。いじめが原因です。冷たい雪の中で発見されました。
(北海道 旭川の凍死事件)
⑤ 若手芸術家の宮本紫雲は、彼曰く、自身の世紀の大作完成の直前、心筋梗塞で、37歳で亡くな
る。完成直前の死。その無念さは計り知れません。
⑥ 2011年3月11日。東日本大震災で、約2万人がなくなりました。生まれてまもない純粋な3
歳の子供。結婚直前の、カップル。99歳の老人。それが、ほぼ同時期に一瞬のうちに、死亡す
る。あまりにも、悲しすぎます。理不尽です。
私は、その時、はっきと、「神も仏もない」と思いました。
それは、私たちが、望むような「神」はいないと思いました。
⑦ ウクライナで戦争が始まりました。今も、多くの人達、子供から大人、老若男女(ろうにゃくなん
にょ)が残酷に殺されてつづけております。あの男のせいです。
神は、この戦争を止めようとしないのですか?
神は、ただ黙って見ているだけの、「冷たい傍観者」なのですか?
★ ★ ★
【ある人のご意見・回答】
「私は、『死んだらお終い』だと思っています。私の死生観であり、私の確信です。
この世は、思い通りにならない。まさに理不尽です。
私の人生のモットーは、『人生を楽しく生きる』です。『自分のやりたいことをやる』です。快楽主義的と思われるかもしれませんが。たかだか、100歳ぐらいの人生。他に『生き方』はないと思います。
お金が、悪のように言う人がいますが、あればあるほど、それは『夢の実現の原資』です。大切なお金です。悟ったような仙人のような、生き方を目指す人がいますが、私にとっては『お笑い』です。
死は、必ず来ます。その時は、人間は、原子にもどります。ただ『無』なるだけです。それだけだと思います。
お釈迦様の悟りとは、逃れられない「死」を知ること、諸行無常。人生は理不尽。人生とは苦であることを悟ることだと言っております。
ただし、私には、慈悲的生き方、利他的生き方は、難しいです。なぜなら、人生はあっという間だからです。『人生は、楽しむこと』『今を一生懸命、生きる』『自分のやりたいことを、とことんやる』
それが、私の死生観です」
★ ★ ★
この方のご意見は、この「究極の人生相談」への一つの回答であります。
あなたは、どう思い、どう感じましたか?この死生観に共感されましたか?
あなたのご意見を聞かせてください。
あなたの死生観を、問う!!
この冒頭の私の原点、「究極の人生相談」に、すべてに答えられるような、正解を求めて、皆様と一緒に「死」について、考えていきたいと思います。
【第二章】死という「タブー」に、切り込む!!
私は、サラリーマン時代において、セールスにおける、お客様の間のタブーを教えられました。それは、お客様と、「政治」と「宗教」の話は、してはいけない。ということです。強引にすすめられても、うまくかわすテクニックを、身につけました。
しかし、もう一つ、タブーがあります。
世界的なタブーです。
それは死です。なぜなのか?それは、この話が、その人の死生観、生き様につながるお話だからです。さらに進めれば、それはその人の「宗教」につながって、来るからでもあります。話せば話すほど、語り合えば語り合う程「違和感」「不快」「不調和」「失望」そして「争い」にまで発展しかねません。
ここでは、皆様方が、死について、どう考えているのか。
【8つの項目】に、分けてお話したいと思います。
【8つの死生観】
みなさまは、このどれかに、該当するかと思います。
① 死について、今まで真剣に考えたことはありません。ですから、正直よく分かりません。
⇒無宗教?
② 死んだら、原子にもどる。ただ、「無」になるだけだと思います。
⇒死んだら、それでお終い。つづきはありません。
⇒唯物史観。科学万能主義。脳万能主義。
③ 肉体は滅んでも、魂(こころ・精神)は存在しつづける。
⇒あの世の実在。魂(意識)の死後存続。
④ 何らかの形で、「永遠の生命」を得る。⇒キリスト教・イスラム教⇒「信じる者は、救われる」。
復活による、地上天国の実現。(霊の存在は否定)
神のご加護で、永遠の生命をえることができる! 一神教。
⑤ 死んだら自然に帰り(宇宙に還る)、形を変えて存在し続ける。⇒アニミズム。日本古来の考え。
縄文時代より。⇒あなた自身は、なくなるが・・・
⑥ 自分自身の意識はなくなるが、形を変えて「輪廻転生」する.
(動物に生まれ変わるかもしれない)
⇒悪行を尽くすと、次は、ゴキブリなの?
⑦ 自分自身は、いなくなるが、この世界は、依然としてある。よって、子供たち、子孫にその魂は、
受け継がれていく。⇒希望的たましい論
⑧ 誰も、死んだことがないのだから、分からない。考えるだけ無駄。「今を、一生懸命に生きる」そ
れに尽きる。
⇒ホリエモン・曹洞宗禅僧 南直哉⇒科学万能主義からくる現代的結論。かなりの多数派です。
実は、この問題のすべては、あなたが、「神」をどう感じるかによって、導き出されその、結論は違う。
同時に、それは「自分とは何か?」という問題に、行きついていく。
〔日本の宗教〕における、神観・死後の世界の捉え方は。
生長の家
天理教
世界救世教
GLA
ワールドメイト
幸福の科学
統一教会 他。
個人としては「江原啓之」(日本スピルチュアル協会設立)
ほとんどの宗教は、神と死後世界の実在を認めている。しかし、その具体的な内容、教義はまちまち。
宗教とは、「神」と「死後世界の肯定」。
輪廻転生。または、「復活による地上天国の実現(キリスト教)」。
☆ ☆ ☆
「神は、いない」と説く宗教は、ない。
最重大 人はなぜ宗教(神)にすがるのか? 最大の原因は。
- 神なくしては、生きられない人間の弱さなのか?
- 神は、人間の脳が、作り出す「願望」「妄想」なのか?
若年層に、急激に増える「異世界」「異次元」漫画と文学。
若者たちの、死後世界の「誤った世界観」
妄想。混乱。宇宙人もいっぱい登場する。
実は、70歳以上は、「科学」にめざめた20世紀の薫陶を受けて育ち、科学万能主義に中で、育ってきました。だから、死後世界の実在は、否定的。信じる人は、少数です。
☆ ☆ ☆
私見。「人心を惑わす。4大地獄」(だれでも、地獄には行きたくないですね)
1 キリスト教の地獄「業火に焼かれる永遠の地獄」 (神が地獄を創った)
Ⅱ 仏教の「六道」(地獄めぐり)⇒曼荼羅の地獄図。バラモン教・ヒンズー教との混合。
Ⅲ 新興宗教(キリスト教系)の、サタンの実在。「サタンはいます!」と説く。
Ⅳ ダンテの神曲
(ダンテの神曲における、7つの地獄めぐり。地獄・煉獄・天国の三つの世界)⇒イタリアでは、ダンテの神曲を義務教育で学ぶ。
大問題は、死後の世界観です。
死の真実です。「死」とは何ですか?
【第三章】『人は死んだらゴミ(灰)になる。原子に戻る』を確信する多くの人達。
⇒世界の一神教(キリスト教等)を信じる多くの人達とは、対極の立場にある。
科学万能主義者。脳万能主義者。無宗教者(神の否定)
この世界の80%は、何らかの宗教に入っている。それは、ズバリ!神の存在を信じ、死後世界の「地上天国」「楽園」を信じる信仰者たちです。
☆ ☆ ☆
一方、
【死んだら、原子(土・ゴミ)に戻るの先駆者たちは】
- スチーブン・ホーキンス博士(1942~2018年 76歳没)
車いすの理論物理学者⇒「神は存在しない。宇宙をつかさどるものはいない。人間は死んだらゴミになる」世界中のキリスト教徒から
大バッシングを受ける。
- 親鸞(1173~1263年 90歳没)
今から、850年前の人。平安末期から鎌倉時代にかけて。浄土真宗の開祖
⇒我は「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぷ)」
我が世は火宅無常の世界。どこまでも過去を背負い
、未来をはらむこの「現在」を、ごまかさずに生きよ。「死んだらどうなるか」と問うことは、私たちを出口のない路に迷わせ、神秘的な世界(ヒンズー教)に惑わすことになる。⇒考えても無駄。⇒霊の世界の否定。輪廻転生の否定。
- お釈迦様(ブッダ)の教え。紀元前7世紀頃。仏教の開祖。
死後世界は、「無記」。答えられない。
現世における、「よりよき生き方」を教える。
人生は理不尽。人生は、苦である。そのことを悟ること。死は必ず訪れます。
「この短い人生をいかに生きるか」を説く。
釈迦が説く悟りとは。
解脱(げだつ。煩悩からの解放。自由の境地)。涅槃(ねはん。苦・束縛・輪廻からの解放)。ニルバーナ。
よって、今日現在、釈迦が、あの世で元気に生きているということには、ならない。釈迦は、死を超越した涅槃にいる。⇒【釈迦は、自分が死んだら、涅槃どころか、あの世の世界に、自分自身がいることに、驚嘆することになる=スピリチュアリズムの見解】
仏教の教え⇒慈悲(の瞑想)。和顔愛語。布施。三法印【諸行無常・諸法無我・涅槃静寂】
四諦・八正道・四苦八苦・般若心経。
生きとし生きる者は、必ず死ぬ。
仏教界のかん口令。仏教徒たるもの(お坊さん)、「死んだらどうなるか、と聞かれたら。答えないようにお願いします。お釈迦様は『無記』と言っております」からと。
おきて破りの仏教徒たち。あの世を饒舌に語る仏教徒たち。なんと、約半数のお坊さんが、あの世があると答えている。「霊魂を探して」より。著者 鵜飼秀徳。
- 日本の仏教は、大乗仏教です。仏教伝来538年。覚え方「ご参拝」
現実の有り様は、修正仏教。混合仏教(原始仏教・ヒンズー教・バラモン教・曼荼羅地獄絵図)・葬式仏教(釈迦の教えにはない)・商社仏教(不動産経営・グッズ販売)・檀家離れ・お寺の衰退。
- お寺(仏教)⇒仏様
神社(神道)⇒八百万の神さま
お寺のそばには、神社があり。神社のそばにはお寺がある。(神仏一如)
日本では、神と仏さまが、混然一体となっている。
お寺で、神さま、神さまと言って願い事をする日本人。
★ ★ ★
- 岸本英夫 宗教学者(1903~1964年 60歳没)の「死生観」⇒宗教研究の第一人者。
岸本英夫は、50歳の時、「がん」と宣告される。その後の10年にわたるがんとの闘いの中で、彼が、到達した死生観とは何か。宗教家としての冷静さのなかで、もがき苦しむ岸本。そして最後は脳転移して60歳で亡くなる。⇒涙なくしては読めない感動の名著。最後には「よく生きる」という死生観に到達する。
岸本談
「人間にとって何より恐ろしいのは、死によって、今持っている『この自分』の意識がなくなってしまうということ。死の問題を突き詰めると、この、今、意識している自分が消滅するのだと気が付いたときに、人間は、愕然とする。
これは恐ろしい。何よりも恐ろしい。身の毛がよだつほどおそろしい。煎じ詰めれば、この一点にかかっている。
しかし、死によって肉体が消滅すると、意識の本体である『脳』も分解し消滅してしまう。それにもかかわらず、『自分の意識』だけは、存在すると、考えることは、相当無理があるのではなかろうか。
私は、はっきり言えば、そうしたことは、信じることはできない。私の中の合理性が納得しない。私は、子供の頃は、敬虔なキリスト教の家庭に育った。しかし、
青年期、奇跡を起こす神を信じられなくなった。私は、神を捨てたのです。近代的知性が、信じることを拒絶した。
私は、宗教家である。生死の問題では、極めてむずかしい立場にある。
伝統的な宗教家には批判される。
ああ、私は、生への執着で、張り裂けるようであった。『もし、自分が死後の理想社会を信じることができでは、どれほど、楽だろうと思った』生命飢餓状態の苦しみを救うのに、それほど適切な解決法はない。はげしい生命飢餓の攻勢も、それによってその鉾先(ほこさき)をやわらげるに相違ない。
しかし、お前は、そんな妥協で納得するのか。
私は、どこまでも、素手のままで、死の前に立っていたのである」
⇒涙なくしては、読めない。生への慟哭。彼の理性が、彼に知性が、死の前にはだかるのであった。私は、絶対に、死後の魂は、認めたくない。認めない。と・・・
⇒そして、到達した結論とは。
「私は、人間にとって何より大切なことは、この与えられた人生を、どうよく生きるかということにあると考えるようになった。病に冒されて、その生命の終わりが近づいても、人間にとっては、その生命の一日一日の重要性は、変わるものではない。つらくても、苦しくても、与えられた生命を最後まで、よく生きてゆくよりほか、人間にとって生きるべき生き方はない。(結論)
死は、生命に対する「別れの時」と考え、最後に立派に別れができるように、平生から、こころの準備を怠らないように努めた」
⇒短い人生を、ただ快楽的に、楽しむ。あるいは、残りの人生を、自分のやりたいことをやる、とは書いていない。死後が近づきにつれ、人を楽しませる。禍根を残さない。彼は、「よく生きる」を身をもって貫きました。愚痴や不平不満を言わず、死の直前でも、明るく振舞った。多くの人に愛され、家族に尊敬されて、妻や子供たちに愛されて、おおらかに、旅立っていった。
★ ★ ★
- 立花隆(1940~2021年 80歳没)【知の巨人】
⇒NHKスペシャル「見えた 何が、永遠が」~立花隆 最後の旅~
立花さんは、宇宙・生命・哲学・経済・政治 (昭和49年、評論が文藝春秋に掲載、田中角栄退陣のきっかけとなる)・臨死体験、など極めて多岐にわたり、
「人間とは何か」という問いに向かい続けた生涯だった。
立花さんの、すごい所は、部屋に閉じこもった研究ではなく、驚くべき好奇心とその行動力にある。その情報収集能力は際立っている。そして、その問題を極めようとする、姿そのものだ。
晩年に膀胱がんになった立花氏が、「死」という「最後の未知」に取り組んだアポリエ「難問題」への渾身の研究のドキュメント。それが、NHKスペシャル(2022年4月28日放映)です。
「人は、死ぬ。人はみな生き続けることを求めて、毎日生き続けている。しかし、どうすれば、生き続けられるのか、誰も知らない。永遠に生き続ける人は誰もいない。人は、すべてある日、死ぬのだ」
「宇宙の大部分が、虚無の中に吞み込まれていくように、歴史の大分部もまた、虚無の中に呑み込まれていく」
そして、死とは「無への帰還」
「私の遺体は、ごみとして捨ててほしい。自分の残した書籍は、古本屋でさばいてほしい」と言い残した。
立花隆の最終研究。「脳死問題。臨死体験。魂の存在。死後存続」。
その結論は、「無」です。
死んだら、すべてお終い。「無」であると。
☆ ☆ ☆
また、遡ること、2021年6月24日の「スポーツ報知」での、記者、「北野新太」氏の立花氏へのインタビューでは。
「特に、話題になったのはテレビドキュメンタリ―にもなった『臨死体験』。事故や病で、生と死の境を彷徨した後に生還した人に訪れた神秘体験を訪ね歩くことは、あなたのライフワーク。『死後の世界』の存在の示唆とも、解釈できますが・・・。」
という問いに対して、立花隆氏は、
「いやいや、死後の世界なんてない。ないです。あると思っている人は頭のどこかに欠陥がある。
正しからざるものを正しいと信じ込もうとしているだけのことです。
臨死体験については、人が死ぬときに何が起きるのかという興味はありますけど、話を聞けば聞くほど、体験者自身が自分に起きたことを問い直してしまう。相当な部分が真意不明になって来ちゃうんです」と、述べています。
⇒ということは・・・
⇒彼は、現代の「知の巨人」ですが、「魂の死後存続」「霊の世界」の確信への道には、残念ながら到達することができませんでした。(私見)
しかし、この科学万能主義の世界に、「死後の世界」などあるはずがない。
当然の帰結、「当然の結論」といえるかもしれません。
☆ ☆ ☆
【参考】
日本の3人の「知の巨人」
1 南方熊楠(みなかたくまぐす)2 立花隆 3 渡部昇一(?)
- 石原慎太郎(1932~2022年 89歳没)「死とは何なんだ。私は今、死の恐怖におびえている」
「死んだらお終い」の確信者。
- 武田邦彦 元教授⇒意識とは、脳であり。脳がなくなったら、意識はなくなるので、死後の世界はない。
- 近藤誠。〔放射線治療医。「がん放置療法のすすめ」他〕
「ぼくはやっばり、死んだらそれまでだと思う」
曽野綾子との共著「死ねば宇宙のチリあくた」より。
* 養老孟司 (解剖学者・医学者)
著書「人生論」の中で、ズバリ、「人は生まれて、歳をとって、どこかで病気になって、
最後に死にます」「まだ私は死んでいませんけれど、いずれ死ぬでしょう。でもそれは、皆さんも
同じです」
・「死」とは何か。アメリカのイエール大学の、シェリー・ケーガン教授による、23年間連続の大
人気講座。⇒「人は必ず死ぬ。だからどう生きるか」
- ニーチェ 「神は死んだ」聖書に代わる価値観。
- ホリエモン【死は、分からないんだから、考えるだけ無駄】
- 上坂冬子 「人間は死んだらゴミになる」
【ここからは対極の意見です】
死後の世界の実在を語る人達。
「あなたは騙されている、死というペテン師に」のエッセイに、続きます。
☆ ☆ ☆
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